【6】岩崎への継承
岩崎による巫女神道吉備派の継承について
岩崎は、吉備の女系巫女神道・歌道が後継者に求める下記の条件を満たすことから、巫女たちによる岩崎への家伝、秘儀秘伝、門外不出の奥義、歌書などの伝授・継承が進められています。
▼岡山・吉備出身であること
▼両親・祖父母ともに岡山・吉備出身であること
▼教育者家系、旧日本軍の近衛兵・陸海軍将校級の家系など、一定以上の士族・上級平民家系であること
▼学歴は不問
(現在、巫女の職は神職ではなく、神職・神社の使用人であり、巫女禁断の国策により日本大学神道講座・皇道学院、國學院(大学)、皇學館(大学)のいずれの神道教育界からも追放されており、大卒の純粋巫女はほとんど存在しないことから、男子継承者についても大卒不問となった。これにより、東京大学中退の岩崎による巫女神道の一部継承が可能となった。)
▼首都圏在住で、神道関連学会にて巫女神道の発表を行い、国(政府、宮内庁、文科省、文化庁など)や神社神道系神道勢力(神社本庁、大規模単立宗教法人など)に対して、既存の神道観への異議申し立てが可能な状態にあること
▼明治政府から昭和の神祇院に至る巫女禁断令(事実上、非天照大神・皇統系女系神道である古代吉備・出雲・信州・恐山などの巫女殲滅による、ヤマト男系王朝・明治天皇の正統化)で壊滅しかけた巫女家に支援を行ってきたこと
▼古語を読むことができ、神職や神社関係者、地元民の理解できなかった古典籍・家書・歌碑などの解読経験があること
▼吉備の古墳や埴輪など吉備史の詳細について、巫女たちの家伝と同様の仮説を持ち、宮内庁による古墳・墳丘墓の治定の正確性に疑念を持っていること
(埴輪吉備起源説、造山古墳応神天皇陵説など。少なくとも、世界遺産となった誉田御廟山古墳・大仙陵古墳はそれぞれ応神天皇陵・仁徳天皇陵ではないとする学説を提唱していること。)
▼邪馬台国吉備説を提唱していること
(これについては、巫女と岩崎の仮説の間にまだ隔たりがあり、巫女が岩崎に譲歩しています。岩崎は、「吉備の王(応神天皇や雄略天皇)がヤマトの大王になり、王たちが吉備王国をなかったことにした」のではなく、「ヤマトが吉備を征服し、原始埴輪(特殊器台・特殊壺)や前方後円墳(造山古墳など)、瓦(東大寺など)、製塩などの技術を片っ端から盗んで、ヤマトにあったものとして『記紀』に書いた。すなわち、吉備の王と吉備の民衆は反ヤマトの立場で協力体制にあった」としています。)
▼吉備発祥の新宗教(神習教、黒住教、金光教、ほんぶしんなど)や吉備に集中的に伝承されている神道(シャーマニズム・巫女神道、伯家神道・高浜清七郎神道、物部神道、斎部神道、大中臣神道など)の全てに精通していること
▼伯家神道の伝授を受けていない大正天皇以降の天皇の正当性を(現実上はともかく天皇理念上は)認めず、孝明朝ないし明治朝を最後の日本神道王朝とする立場をとっていること。
▼伯家神道を有する吉備のシャーマニズム系女系巫女家の女王を非ヤマト系・非神社神道系「吉備日本」の首長と戴く巫女神事に参加し、巫女たちから吉備の男覡(おかんなぎ=男の巫女、神の依り代)の資格を授けられていること。
▼神社本庁と大規模単立宗教法人が主導する神社神道の祭祀方式に見られる巫女と森羅万象の非「依り代」性(神社における神職の奉納祭祀を神道の拠点とする神道観)に抵抗し、巫女身体と森羅万象が即汎神・多神であるとするアニミズムとシャーマニズムを原始神道とする立場をとっていること。