【2】吉備派の道統一覧
巫女神道吉備派の道統・流派一覧(秘儀秘伝の特徴別に、巫女と岩崎が提唱している分類)
★ 楯築墳丘墓流鬼神道(黒住(黒炭)神道)
古墳の起源である楯築墳丘墓を中心とする墳丘墓群で継承されてきた女系巫女神道で、神道と言うよりは未だ鬼道・シャーマニズムです。その後、備前一宮の山神神道や神子座の巫女舞と混合し、ほとんど同一化しています。現在は、古代吉備黒住一族(新興の黒住教黒住総宗家を除く)の総本家である黒住有為の家系にかろうじて遺されています。墳丘墓群から原始埴輪が発掘され、学者らによって「特殊器台・特殊壺」と名付けられ、政府・神道界もこれを認めた珍しい経験を持っています。物部神道、斎部神道、中臣神道、伯家神道など、現在知られるほとんどの日本神道の起源になっていますが、政府など上記の神道利権団体は、これらが全てヤマト王権連合内で発生したと主張しています。明治の巫女禁断令の時点で、吉備の巫女たちはこの家伝を漏らさないよう威嚇・迫害を受けていますが、一部の巫女はこの弾圧にもかかわらず、埴輪の起源の情報などを漏洩させ、巫女神殿の廃止に追い込まれています。しかし本当は、孝明天皇、明治天皇、高浜清七郎などでさえ、神道の起源を知っていた可能性があります。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 阿哲・阿新・神郷・神代(こうじろ)・矢神・雨請山・鯉ヶ窪湿原流巫女神道・巫女舞歌道
阿哲・阿新地域に広がる阿哲台のドリーネやウバーレを神格化して行われてきた女系巫女神道です。その秘儀は自然崇拝・女性器崇拝の要素をよく残しており、ドリーネやウバーレの形状と水源が女性器とその機能に見立てられ崇められたことは明らかです。「鯉が窪湿原」の「窪(くぼ)」も女性器を表し、湿原もその機能を表しており、「大久保」や「保土ケ谷」の「くぼ」や「ほと(ほど)」が女性器を指すのと同様です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 芥子山(けしごやま)磐座流(大多羅寄宮、句句廼馳神社、布施神社流)巫女神道・巫女舞歌道
芥子山の磐座神事を中心とする女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 姫社(ひめこそ)系巫女神道・巫女舞歌道
総社姫社神社を中心とする女系巫女神道です。巫女たちは、「神社(ジンジャ)」の名称(漢語)の前から「姫社(ひめこそ)」の名(和語)があり、「ひめこそ」のみで「巫女神殿」を表すとする説を提唱しています。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 出雲系巫女神道・巫女舞歌道
古代出雲において行われた巫女神道の系譜を引く女系巫女神道です。教派神道としての出雲大社教の創始以来、巫女による神事は廃れましたが、古代出雲国の南端である岡山県側の新見・真庭地域に、吉備系巫女神道とはやや異なる巫女神道が残存しており、これが古代出雲の巫女神道の名残であると思われます。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。阿哲・阿新流巫女神道や神庭流巫女神道をもご参照下さい。
★ 備前一宮(吉備津彦神社)神子座(巫女座、御子座)流巫女神道・巫女舞歌道
吉備津彦神社の巫女と巫女神道の巫女とが秘伝継承している女系巫女神道です。一部の巫女が所属する吉備津彦神社は、かつて神子座の主宰者でさえありましたが、現在は神社本庁傘下にあり、この巫女神道とは無関係です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 乙倉(おとくら)流巫女神道・巫女舞歌道
乙倉家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 狩屋(かりや)流巫女神道・巫女舞歌道
狩屋家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 神社(かんじゃ、じんじゃ、かんこそ、こうこそ)流巫女神道・巫女舞歌道
神社家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 神庭(かんば)・真庭(まにわ)流巫女神道・巫女舞歌道
神庭家や真庭市の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。「神庭」・「真庭」とは、ヤマト・アマテラスに追いやられたスサノオの最後の安住の地・庭園の意です。出雲神道と習合関係にあります。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 岸本流巫女神道・巫女舞歌道
岸本家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。琉球・沖縄のノロ・ユタ・カミンチュを中心とする琉球神道と習合しているのが特徴です。巫女弾圧で双方が疲弊してからは、一層の協力体制となりました。現在も、「岸本」姓は岡山と沖縄に多く、巫女神道と関係がある可能性があります。倭舞や東遊と巫女舞とを融合させた吉備楽・吉備舞の創始者である岸本芳秀は、男系の岸本本家の出身で、巫女岸本家とも血縁があります。しかし現在、吉備楽・吉備舞とは、巫女たちの逃亡先となった黒住教や金光教と、巫女神道の巫女舞を言い、岡山県内の神社本庁・岡山県神社庁系神社のほとんどはこれらを継承していません(依然として、上級神職たちが巫女神道蔑視の方針を継続しているためです)。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 日下・草加(くさか)流巫女神道・巫女舞歌道
日下・草加家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。当初は政府・国家神道に近かったものの、これらの勢力が天皇を万教の絶対者(ヤハウェ、ゴッド、イエス・キリスト、アッラーなど)を専有すると宣言してからは、巫女たちが憤怒して国家神道から離脱しました。それ以降、ヤマト王権、特に近代天皇・政府を祟る呪術を行い、一部はあからさまに反ユダヤ主義の立場をとる神道天行居に参加しました。(目的はユダヤ人差別ではなく、ヤハウェと一体化した天皇への呪詛。)自ら吉備巫女神道に前戻って国家神道に反抗した、勇壮な悲運の道統です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 国定(くにさだ)流巫女神道・巫女舞歌道
国定家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 黒明(くろあけ、くろみょう)流巫女神道・巫女舞歌道
黒明家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 高祖(こうそ、たかそ、たかす)流巫女神道・巫女舞歌道
高祖家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 道満(どうまん)流巫女神道・巫女舞歌道
道満家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。キリスト教神秘主義を取り入れています。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 藤原流巫女神道・巫女舞歌道
藤原家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。「藤原」姓は兵庫県と岡山県に極端に多いですが、ほとんどの家は公家史上最大の強勢を誇った藤原氏(天孫氏族とされる)の子孫ではありません。この藤原巫女神道も、女系継承で、少なくとも藤原氏の直系子孫ではないと考えていますが、藤原氏の始祖家系である中臣・大中臣家とは女系でつながります。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 正宗(まさむね、しょうしゅう)流巫女神道・巫女舞歌道
正宗家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。男系の正宗本家は、国文学者・歌人の正宗敦夫などを輩出しています。現在、正宗文庫が知られています。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 御巫(みかなぎ、みかんなぎ、みかんこ)流巫女神道・巫女舞歌道
御巫家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。吉備と共に、ヤマトに先行する古墳文明を築いていた毛野に「御巫」姓が多く、関係を研究しています。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 虫明(むしあけ)流巫女神道・巫女舞歌道
虫明家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 守屋(もりや)流巫女神道・巫女舞歌道
守屋家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 守安・森安(もりやす)流巫女神道・巫女舞歌道
守安・森安家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 山本流巫女神道・巫女舞歌道
山本家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。
★ 女子道社・二所山田神社
おみくじで有名な女子道社の巫女神道です。吉備の巫女たちが参加してきました。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。