【1】巫女弾圧の歴史

巫女弾圧の歴史

■私たちは、下記の三段階の巫女弾圧・迫害策により神道史上はすでに存在していないとされる巫女神道の巫女と、その秘教神道を継承する男性から成る、太古神道研究グループです。

◆第一次・第二次巫女禁断令(1873年)
・・・全国の巫女神道に対し、教部省達として公式に発令。吉備の巫女(私たちの曾祖母や祖母)が屈服せず、吉備の男子シャーマン教・神職教(黒住教、金光教、神習教など)や海外の神秘教団(キリスト教神秘主義、カバラ教団、セレマ神秘主義など)と結託。明治政府(薩長土肥藩閥)は、神道史・古代史の観点では、これを「天皇・ヤマト王権・大和朝廷」対「古代吉備王国」の最終決戦と捉え、王政復古・祭政一致は吉備(および出雲)の打倒により完成すると考えるようになる。政府は、高浜清七郎一派はじめ吉備の伯家神道などを、引き続き京都・東京・宮中から排除。

◆第三次~第十次巫女禁断令・巫女掃討作戦(1874~1945年)
・・・政府は、吉備(他は出雲、信州、恐山)の巫女村に対し、吉備の傀儡神職・県知事を利用し、神社局長に連続で任命して、集中的に監視・破壊。出雲に対しても祭神論争で勝利。出雲巫女神道は、政府からも出雲大社からも離れ、吉備の巫女神道に流れる。全体主義憲法の色彩が濃かった帝国憲法でさえ信教の自由を保障していた中、政府は神社非宗教論の論法に基づき、「国家神道(神社、神社神道、国民道徳)」と「教派神道(宗教神道)」の区分を考案。「国家神道」は宗教ではないため国民に強制できるものとして、事実上の神道国教化を実現させた。

◆戦後
・・・GHQにより神道の国家管理が廃止されたが(神道指令)、依然として吉備派の説(下記)を次の公権力や宗教団体は否定し、巫女たちに主張・思想の発表を行わないよう警告。
(政府、宮内庁、文科省、文化庁、神社本庁、伊勢神宮、岡山県神社庁、神道政治連盟、日本会議、新しい歴史教科書をつくる会など。)

●所属する黒住教、金光教、神習教などの本部からも異説の遠慮を推奨するお達しはありますが、これらの教団には教派神道系教団としての矜恃があり、必ずしも国家神道・神社神道の言いなりにはなっていないため、所属巫女の超教団活動は概ね許されています。


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岩崎の主な所属・関係学会リンク

研究所・女性局スタッフでもある巫女の女性の主な所属・奉仕先(教派神道・吉備・出雲系教団、神社)

 岩崎(の家系)が岡山(古代吉備巫女神道系氏族)出身のため、必然的に岡山出身や吉備にルーツのある巫女の方々がご参加・ご賛同下さっています。

吉備津彦神社(岩崎の母方の母の家系は、漫画・アニメ『ONE PIECE』の「ワノ国編」のモデルとなった一族で、古代吉備王国(製鉄)以来、天津磐座を女系(巫女頭)中心に守ってきた備前一宮吉備津彦神社総宗家の黒住氏(黒住有為の代をもって黒住氏姓は廃絶)であり、境内に神子(巫女)座を構えていた頃の、男系化以前の太古巫女神道を残しています。)
吉備津神社(岩崎の黒住家では、ヤマト王権が古代吉備の力を削ぐため上記の吉備津彦神社と吉備津神社に分割したと伝承しており、現在は定説となっています。)
黒住教(岡山発祥。黒住教教主家系は上記黒住氏の庶流分家に当たります。)
金光教(岡山発祥。岩崎の家系は血縁なし)
神習教(岡山発祥)

岩崎注目の吉備・岡山関係者、歴史・郷土史家、歴史教員

猪原金物店・茶房速魚川(島原。吉備に起源があり「吉」の紋を掲げる猪原家の名店)
世界史の窓(Y-History 教材工房)
関裕二の備忘録(歴史作家。吉備史研究でヒントを頂いている)

国家・政府機関、国家神道系宗教団体サイト

神社本庁(日本国のほとんどの神社を従える巨大宗教団体。建て付けは民間団体。古神道を男子神職による奉納主義型神社神道に作り替えた主体。)
伊勢神宮(神社本庁の頂点に位置。吉備神道と根本的に相容れないが、渡会家の伊勢外宮神道のみは、天照大神をも包括する神儒仏混交の宇宙神を見据え、吉備と親和する。)
文部科学省(省庁の中で弱い立場にあったが、自民党安倍派の巨大化で安倍派の大臣・政治家・官僚の椅子そのものと化した。)
文化庁(宗教行政を管轄。殊に天皇・宗教の歴史については、日本の子どもに史実を教える意思はない組織と見た方が妥当である。)

自治体サイト(本部・支部所在地、納税地、ゆかりの地)

岩崎の出身校

東京大学教養学部(文三→教養→中退)
岡山白陵中学校・高等学校(内進、23期生)