Every year, we hold memorial rituals at shrines and other venues for the following horrific cases of death from murder, assault, bullying, and overwork (dozens of cases). We practice many of these rituals in the Kibi (吉備) region where our members live together.
毎年、以下のような悲惨な殺人・暴行・いじめ・過労死事件(数十件)の追悼祭祀を巫女神殿などで行っております。メンバーが集住する吉備地域での実践が多くなっております。
現代のこのような事件を本来のシャーマニズム・アニミズムに照らせば、被害者が八百万の神々や他の動植物の霊と平和に戯れる神霊・精霊となれるよう助力するのが神道であって、男系男子神職の勤務する大規模神社にお参りし、イベントの時だけ急に量産される巫女から量産された御守を購入したり賽銭を投げたりすることによって自分が慰められたものとする参詣・奉納祭祀(初詣など現代神道に見られる集団的自慰)が古神道ではありません。鎮魂の祈りが巫女の心身の神懸りを経ていること、その神懸り中の巫女を精神科や心療内科に連れて行くと転換性障害や解離性障害、PTSD、急性ストレス障害などの所見が観測されることが、本当の秘儀においては重要です。吉備の古神道の巫女は、この祭祀形式が遂行できる数少ない存在でもあります。完全な説明は困難ですが、巫女は、英語でさえ「medium」と言うように、媒介者、つまりは人の苦悩の代行・共有業者(受難代理人)であって、何か(苦難を乗り越える方便)を教授する役割はありません。むしろ、巫女の秘儀に神道、仏教、密教、陰陽道、修験道、原始キリスト教、ミトラ教など何の名前が付くかさえ重要ではありません。「苦しいときの神頼み」は宗教を問わず非常に現代的な、ポピュリズム化されたユダヤ・キリスト教的な、或いは日本の平安時代以来の誤解された浄土信仰的・末法思想的な特色を持ちますが、私たち古神道巫女の体験は「神頼み(というより神懸り)は苦しい(狂おしい)」ということがあるだけです。私たち女性が色々な被害を霊的防御によって防ぐには、女性自身が未来永劫(人類滅亡まで)この体質(大地、自然と一体化できる身体)であり続けることが肝要です。
(あくまでも巫女神道・神道霊学・秘教神道の観点からですが、特に幽冥界の最終境地に死者の霊が到達していない(仏教で言う「成仏できていない」)状態にある被害者の全面的な味方が地上にもいることが重要です。私たちなりに秘教神道方式で儀式を繰り返しており、ここにはその例を優先的に記載しています。)
★2015年 電通女性社員過労自殺事件 追悼秘儀
当団メンバーである岩崎の東大の後輩に当たる女性が過労死(自殺)した事件です。一部の心ある聖なる人間を除いては、社会はこの事件から何の教訓も得ていません。
★1990年 神戸高塚高校女子生徒校門圧死事件 追悼秘儀
現地での地域住民の追悼イベントにも顔を出しています。一部の心ある聖なる人間を除いては、社会はこの事件から何の教訓も得ていません。
★1988~89年 女子高生コンクリート詰め殺人事件 追悼秘儀
当団最重要の弔い祭祀の一つです。一部の心ある聖なる人間を除いては、社会はこの事件から何の教訓も得ていません。