巫女と岩崎純一の学説・主張の概要

■IJAI・巫女神道吉備派の巫女および岩崎は、概ね下記の学説を主張しています。吉備の各巫女家にも下記の家伝(秘伝書や口伝)が残っていますが、我々が純粋に机上の歴史学・文献学上の考察から史実であると考えているばかりでなく、いくつかは考古学的な発掘調査などにより史実であることが証明されています。しかし、政府をはじめとする上記の神道利権団体は、今でも吉備側がこれらの学説を提唱しないよう監視・警告しています。IJAI・巫女神道吉備派の巫女と岩崎のもとにも、度々警告が来ていますが、これらの学説を取り下げる予定はありません。


『古事記』、『日本書紀』・六国史、『新撰姓氏録』、『万葉集』、勅撰集・『古今集』(古今伝授)による吉備封殺説

 吉備の巫女たちは、これらの書物の全てに、吉備国を封殺し、その存在を日本史から抹消しようとする画策が見られるとしています。岩崎も、巫女たちの主張が史実として概ね正しいと見ています。

『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』などの「やまと」、「あきつしま(蜻蛉島)」、「あまのかぐやま(天香具山・天香久山)」、「なには(難波)」、「かさぎやま(笠置山)」など重要地名の大部分は、畿内ではなく吉備の地を指している可能性があります。

 すなわち、大陸・半島からの別の後進・追撃勢力(百済・朝鮮・渡来人勢力=のちの畿内皇統・朝廷、具体的には天武・持統天皇の時代)が、吉備国を通過または出発する際、吉備のあらゆる実状(地名、神山の位置関係、版図、マップ、文化、技術など)を丸ごと盗用し、畿内にいわばコピー&ペーストし(一部の巫女は、「吉備→畿内“丸ごとコピペ”説」と揶揄しています)、周囲の英雄をモデルに天武以前の天皇を上古代に向かって捏造した(かさ上げして創作した)可能性があります。

 それまでの畿内・九州歌壇は、吉備王朝の出向歌壇であり、柿ノ本人麻呂などは吉備の歌人であり、畿内王朝に寝返ったか取り込まれた可能性があります。元より、大伴家持は吉備や九州の異民族に対する征討軍の長です。

『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』は、百済・朝鮮・渡来人勢力である自分たち畿内朝廷を先占日本人連合であると見せかけるため、自分たちの東進の経緯(吉備王朝通過・滞在・融合時代)あるいは敵国であった吉備王朝の記憶を封殺し、歴史上から抹消し、出雲神話のみはかろうじて都合よく残すことを、主要な、または唯一の目的として、畿内王朝が編纂した歴史書や歌集である可能性があります。『日本書紀』をはじめとする六国史は、決して正史・国史ではなく、これもまた江戸時代の国学における偽書と同等の一史書・長編神話小説として位置付けられるべきものと考えます。

 吉備の教派神道系の巫女や岩崎は、新ヤマト王朝(畿内王朝)が原始ヤマト王朝(吉備王朝)を征服して取りつぶし、人材や文化を畿内へ半ば連行したり持ち込んだりしたと見ています。対して、平山牧人氏や木佐敬久氏は、吉備王朝がヤマト王朝の全部又は一部の母体であり、嘘の吉備史・皇統譜の捏造や吉備古墳の技術の盗用は否定できないものの、吉備真備などを畿内王朝内で重用し、比較的温和に大移転したと見ています。


ヤマト王権(大和朝廷、男系皇統)朝鮮系渡来人・百済人王族説

 もはや吉備の巫女の間では常識的な学説となっており、皇統と皇別氏族・諸蕃氏族は、日本列島に渡ってきた最も遅い非先占渡来集団であるとしています。対して、神別氏族や縄文・初期弥生人を中心とする吉備族と吉備神道の祖先(物部氏、斎部氏、藤原氏など)は、吉備土着の先占日本人であるとしています。

 古代日本は、日本列島先占の吉備王朝(縄文直系女系巫女神道連合と、男王=温羅や女王と、弥生系・秦氏系の吉備製鉄主導者の祭政一致統治体)を中心とする、畿内王朝(百済・朝鮮系=最末期渡来人による征服王朝)とのダブルキャスト体制ないし多元王朝(出雲、毛野、越、美濃、熊襲などを含む)であった可能性があります。


埴輪吉備起源説

 埴輪は、畿内や九州ではなく吉備で発祥した可能性が高いとする説です。

【証明終】🗹 現時点で、史実であると判明。発掘調査で証明済み。(吉備の原始埴輪は「特殊器台・特殊壺」として教科書掲載に成功。)


造山古墳先行築造説

 畿内ヤマトの大規模前方後円墳(誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)や大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)など)は後発前方後円墳で、吉備の大規模前方後円墳の技術(造山古墳など)を奪取または借用して築造されたとする説。

【証明終】🗹 現時点で、史実であると判明。発掘調査で証明済み。(造山古墳の方が古い。)


造山古墳応神天皇陵説(百舌鳥・古市古墳群治定捏造説、宮内庁陵墓治定虚偽説)

 ほとんどの吉備の巫女の家伝にあるが、政府は否定し、誉田御廟山古墳を伝応神天皇陵とする主張を曲げず、世界遺産登録にも成功。

 しかし、応神天皇陵(倭の五王の一人である応神天皇が被葬者である陵)は、世界遺産となった誉田御廟山古墳ではなく、吉備の造山古墳である可能性が高いです。


近現代天皇の正統性・神性・霊性非在説

 吉備の巫女たちは、特に大正天皇以降の天皇について、吉備の伯家神道(とりわけ、吉備の高浜清七郎派)の伝授を受けて神性・霊性を帯びていないため、本来は「天皇」の呼称を用いることができないと主張しています。岩崎も、巫女たちの主張が史実として概ね正しいと見ています。ただし、巫女も岩崎も、もはや現皇室・現国体の転覆を意図するものではありません。


邪馬台国吉備説

 吉備の巫女でも意見が分かれていますが、全体として畿内説よりも多く、九州説よりもやや少ない状況です。平山牧人氏が最も強硬な吉備説論者ですが、邪馬台国の吉備王朝への直接的な移行と発展の裏付けが必要になってくるため(つまり、邪馬台国吉備土着説そのものであるため)、未だ九州説を脱しない研究者が多くなっています。


神道吉備起源説

 ここでの「神道」とは、ヤマト王権の後継政体である(天皇親政を復活させた)近代政府と男系神職によって整備された「神道(神社神道)」概念でない、前近代的神道や巫女のシャーマニズムのことであり、巫女たち自身は「反神道」、「神(神々)の道」、「随神(かむながら)の道」と呼んでいます。この意味においては、物部神道、斎部神道、中臣神道、伯家神道など、現在知られるほとんどの日本神道の起源は、吉備のシャーマニズムにあると、巫女たちも岩崎も見ています。


温羅、桃太郎、吉備津彦、稚武彦命、日本武尊、応神・仁徳・雄略天皇(倭の五王)吉備人説

 これらの人物が実在するか、モデルとなった人物が実在するならば、それらの人物は全て吉備人であったとしなければ辻褄が合わないが、『記紀』・六国史・『新撰姓氏録』などを著したヤマト王権から近現代政府に至る日本国の主要政権は、それらを隠蔽し、皇統が(吉備国王の血統とは無縁の)アマテラス系の万世一系であるとする虚偽の主張を行っていると、吉備の巫女たちは主張しています。岩崎も、巫女たちの主張が史実として概ね正しいと見ています。一部の巫女は、「大王(オホキミ)」や「皇尊(命)(スメラミコト)」なる概念さえ、ヤマトが吉備から吸い上げたとしており、岩崎も研究中です。


仏教朝儀への吉備の忠誠の強要説

 天皇と蘇我氏などの崇仏派豪族から成るヤマト王権が、大和朝廷として仏教を母体に朝儀を整備するにあたり、日本列島土着の物部・斎部神道を排撃したと同時に、それらの根源にある吉備の巫女神道を警戒し、吉備国に朝廷への忠誠を誓わせ、吉備の技術・国力を吸い上げたとする説。東大寺の瓦が全て吉備で焼かれるなど、古墳の技術と同様、これら吉備の技術が丸々ヤマト王権に取り込まれており、少なくとも吉備に対するヤマトの羨望と制圧策の凄まじさはあからさまに観察されます。


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