巫女神道 吉備派


【特記】安倍・自公連立政権の一連の問題に関するお知らせと我々の見解

 昨今の安倍・自公連立政権関連問題には、森友学園問題(岡山県出身・近畿財務局管財部の赤木俊夫氏の自殺)や加計学園問題(岡山理科大学獣医学部新設計画)、桜を見る会問題(安倍首相・麻生副首相の友人や自公政権の傀儡である岡山県の有力者を優遇)など、岡山県民・岡山県出身者にとって大変身近で悔しい問題が多くなっています。安倍・自公政権とその傀儡である岡山県の有力者がノンキャリアの県出身者や県民を蔑視するという構図が見て取れます。

 我々、岩崎純一学術研究所(特に吉備支部および巫女神道吉備派)は、所長の岩崎を筆頭に、多くの吉備・岡山県出身者で構成される学術結社であるだけに、一層これらの案件のご遺族・被害者側の立場に立ち、その諸々の活動(再調査の要請など)に賛同し、東京と岡山の地で、個々人の氏名で署名を行っています。また、つかんでいる情報については、随時これらの方々に提供してまいります。

 我々は、昨今の(東大出身者が極端に少ない)安倍・自公政権の行動を、第一に(表向きは)「非東大卒の政治家」による「東大卒の官僚」に対するルサンチマン(羨望、反感)の有形力化だと分析していますが、それと共に同政権には、とりわけ岡山県の不都合勢力を淘汰し、政権に服従の意志を示した県内勢力を厚遇する国策が見られます。モリカケ問題や桜を見る会問題というのは、その中で表に出たものの典型例だと言えます。

 ところで、公明党とその支持母体の(というより党の本体と言うべきである)創価学会も、自民党監視の機能を果たしていません。法華経・国立戒壇思想を今も根底に持つ公明党員・創価学会員ばかりを自民党が国土交通大臣に集中的・連続的に任命していることは、偶然ではありません。日本列島の国土計画や公共交通機関の整備には、公明党・創価学会の思想が多分に反映されています。ただし我々は、その自公政権の体制側の思想と、元の創価教育学会の反体制の理念と、日蓮・法華経の教えも、全てが互いに異なるものと観察しています。

 岡山県はかつて、全ての小選挙区で自民党が必ず勝つ保守王国でしたが(現在は違いますが)、それは県出身の自民・保守勢力(元首相・橋本龍太郎をはじめ、平沼騏一郎、加藤六月、片山虎之助など)が日本全国と岡山県のために働き、かつ、それを同県出身の社会民主連合(社民連)勢力(江田三郎、江田五月、菅直人(本籍が岡山))などが適切に監視していた時代の話であり、当時の自民党は現在の自民党の姿ともまた違います。

 我々IJAI吉備支部のスタッフ(特に吉備の巫女)の大勢を占めるのは、反自民・反共の旧社民連派で、岩崎も反自民・反共の中道愛国・愛郷の立場であり、両者共に「細川連立政権時代に象徴される、戦後自民党国体に対する監視者としての吉備・岡山県の立場の復権」を理想としています。ただし、旧社民連の社公民路線とは異なり、反公明路線をとっています。

 我々は、平成・令和時代を通じた安倍・自公政権の一連の問題を、吉備史・吉備神道史という非常にラディカルな観点からも興味深く観察しています。すなわち、一見大げさながら実は根底にある、「ヤマト王権・大和朝廷・『記紀』神話勢力の後継を自称してきた長州閥」「吉備王権・吉備神道(と出雲神道)」の壮大な闘争物語としても分析しています。詳しく言えば、「ヤマト(明治政府・薩長土肥藩閥と、その藩閥政府が孝明・明治天皇の本心を無視して創り上げた天皇像、ひいては、山口県がヤマト・日本だと考える安倍首相の日本史観)」「吉備(本心では吉備の歴史と神道を頼りながら政府に制圧・支配された孝明・明治天皇の姿と、それを支えた吉備神道、特に吉備伯家神道・高浜清七郎一派と吉備の自然信仰・シャーマニズム神道)」の関係の問題だということになります。

 最近は、「山口県の総理大臣展」など、安倍・自公政権の肝煎りのイベントで、非自民の山口県の出身者・政治家や、山口県出身の岡山県の政治家が、名簿やパネルから消され、あるいは出自を書き換えられるようになってきています。(菅直人がその典型例。)

 安倍首相の祖父で元首相の岸信介どころか、それ以前の明治・近世から続く安倍政権の地盤である山口・長州閥の官僚や島根・津和野藩の国学者陣営をトップとして、神社局、国家神道、宮内庁、文科省、文化庁、神社本庁、伊勢神宮、大規模単立宗教法人(靖国神社など)、神道政治連盟、日本会議などの公私勢力が、近現代ヤマト政府の中心勢力を成し(古代吉備との最終決戦を念頭に)、吉備神道と協力しようとした孝明・明治天皇の発言権を奪い、吉備伯家神道・高浜清七郎一派、吉備の巫女祭祀、出雲神道を排撃してきたところに、現代日本国の一つの綻びがあるような気がしています。

 そして、とどめとして、安倍首相は実は山口県出身者でもなければ山口県で育ってもいないという事実、つまりは、長州・山口県民でさえ安倍・自公政権に利用されているというところに、最大の恐ろしさがありそうです。

 これらのヤマト・薩長土肥藩閥による吉備・岡山に対する制圧の歴史は、以下の各資料で詳説しています。なお、我々の立場は、私設学術結社・岩崎純一学術研究所としての(純学術的な)立場であり、岩崎が勤務する大学などの(政治的な)立場とは一切関係ありません。


巫女神道吉備派の概要

 巫女神道吉備派は、近現代の巫女弾圧策(下記)で壊滅または逃亡・秘教化した古代~前近代の吉備・岡山の巫女秘教神道を再興する試みです。吉備発祥の教派神道(黒住教、金光教、神習教)などの他教団に強制配属させられたり逃亡したりした巫女たちの子孫による、いわば超教団太古神道グループ、巫女連合です(約40名)。あくまでも神道理論上かつ私立巫女祭祀(シャーマニズム)としての復興であり、現国体(皇統、立憲君主制、議院内閣制)の転覆を目的としたものではありません。
 ただし、ヤマト王権(大和朝廷、男系皇統)朝鮮系渡来人・百済人王族説、埴輪吉備起源説、造山古墳先行築造説、造山古墳応神天皇陵説(宮内庁陵墓治定虚偽説)など、国・神道界から取り下げの警告を受けている一方で、私たちが正しいと考える家伝・理論については、引き続き提唱してまいります。

 昨今、これまで禁止されていた巫女の家伝・秘伝と同内容の学説を、吉備研究者が主張し始めています。
 特に、吉備出身の研究者・後継者・大学非常勤講師の岩崎純一が、哲学、神道史、吉備史、精神病理学(シャーマニズム研究、巫女の憑依の秘儀の検証)、歌道・歌垣などのあらゆる観点から、巫女の主張を正当とする学説を展開しており、「巫女神道吉備派」は「岩崎純一学術研究所」の吉備支部の一部として機能しております。「巫女神道吉備派」とその各流派の呼称・分類そのものが、巫女の伝承や吉備神道史観をもとに巫女と岩崎が考案したものです。
 政府、宮内庁、文化庁、神社本庁などの当局からの警告・通達は、全て岩崎までお送り下さい。


巫女弾圧の歴史と巫女の主張の概要

■私たちは、下記の三段階の巫女弾圧・迫害策により神道史上はすでに存在していないとされる巫女神道の巫女と、その秘教神道を継承する男性から成る、太古神道研究グループです。

◆第一次・第二次巫女禁断令(1873年)
・・・全国の巫女神道に対し、教部省達として公式に発令。吉備の巫女(私たちの曾祖母や祖母)が屈服せず、吉備の男子シャーマン教・神職教(黒住教、金光教、神習教など)や海外の神秘教団(キリスト教神秘主義、カバラ教団、セレマ神秘主義など)と結託。明治政府(薩長土肥藩閥)は、神道史・古代史の観点では、これを「天皇・ヤマト王権・大和朝廷」対「古代吉備王国」の最終決戦と捉え、王政復古・祭政一致は吉備(および出雲)の打倒により完成すると考えるようになる。政府は、高浜清七郎一派はじめ吉備の伯家神道などを、引き続き京都・東京・宮中から排除。

◆第三次~第十次巫女禁断令・巫女掃討作戦(1874~1945年)
・・・政府は、吉備(ほかは出雲、信州、恐山)の巫女村に対し、吉備の傀儡神職・県知事を利用し、神社局長に連続で任命して、集中的に監視・破壊。出雲に対しても祭神論争で勝利。出雲巫女神道は、政府からも出雲大社からも離れ、吉備の巫女神道に流れる。政府は神社非宗教論の論法に基づき、「国家神道」と「教派神道」の区分を考案。「国家神道」は宗教ではないため国民に強制できるものとして、事実上の神道国教化を実現させた。

◆戦後
・・・GHQにより神道の国家管理が廃止されたが(神道指令)、依然として吉備派の説(下記)を次の公権力や宗教団体は否定し、巫女たちに主張・思想の発表を行わないよう警告。
(政府、宮内庁、文科省、文化庁、神社本庁、伊勢神宮、岡山県神社庁、神道政治連盟、日本会議、新しい歴史教科書をつくる会など。)

●所属する黒住教、金光教、神習教などの本部からも異説の遠慮を推奨するお達しはありますが、これらの教団には教派神道系教団としての矜恃があり、必ずしも国家神道・神社神道の言いなりにはなっていないため、所属巫女の超教団活動は概ね許されています。


■巫女神道吉備派には、下記の家伝が残っており、いくつかは発掘調査などにより史実であることが証明されています。しかし、政府をはじめとする上記の神道利権団体は、今でも吉備側がこれらの学説を提唱しないよう監視・警告しています。

◆神道吉備起源説
→ここでの「神道」とは、ヤマト王権の後継政体である(天皇親政を復活させた)近代政府と男系神職によって整備された「神道(神社神道)」概念でない、前近代的神道や巫女のシャーマニズムのことであり、巫女たち自身は「反神道」、「神(神々)の道」、「随神(かむながら)の道」と呼んでいます。この意味においては、物部神道、斎部神道、中臣神道、伯家神道など、現在知られるほとんどの日本神道の起源は、吉備のシャーマニズムにあると、巫女たちも岩崎も見ています。

◆邪馬台国吉備説
→吉備の巫女でも意見が分かれていますが、全体として畿内説・九州説よりも多い状況です。

◆ヤマト王権(大和朝廷、男系皇統)朝鮮系渡来人・百済人王族説
→もはや吉備の巫女の間では常識的な学説となっており、皇統と皇別氏族・諸蕃氏族は、日本列島に渡ってきた最も遅い非先占渡来集団であるとしています。対して、神別氏族や縄文・初期弥生人を中心とする吉備族と吉備神道の祖先(物部氏、斎部氏、藤原氏など)は、吉備土着の先占日本人であるとしています。

◆温羅、桃太郎、吉備津彦、稚武彦命、日本武尊、応神・仁徳・雄略天皇(倭の五王)吉備人説
→これらの人物が実在するか、モデルとなった人物が実在するならば、それらの人物は全て吉備人であったとしなければ辻褄が合わないが、『記紀』・六国史・『新撰姓氏録』などを著したヤマト王権から近現代政府に至る日本国の主要政権は、それらを隠蔽し、皇統が(吉備国王の血統とは無縁の)アマテラス系の万世一系であるとする虚偽の主張を行っていると、吉備の巫女たちは主張しています。岩崎も、巫女たちの主張が史実として概ね正しいと見ています。一部の巫女は、「大王(オホキミ)」や「皇尊(命)(スメラミコト)」なる概念さえ、ヤマトが吉備から吸い上げたとしており、岩崎も研究中です。

◆埴輪吉備起源説
→現時点で、史実であると判明。(吉備の原始埴輪は「特殊器台・特殊壺」として教科書掲載に成功。)

◆造山古墳先行築造説
→ヤマトの大規模前方後円墳(誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)や大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)など)は後発前方後円墳で、吉備の技術を借用したものであるとする説。現時点で、史実であると判明。(造山古墳の方が古い。)

◆造山古墳応神天皇陵説(百舌鳥・古市古墳群治定捏造説、宮内庁陵墓治定虚偽説)
→ほとんどの吉備の巫女の家伝にあるが、政府は否定し、誉田御廟山古墳を伝応神天皇陵とする主張を曲げず、世界遺産登録にも成功。 しかし、応神天皇陵(倭の五王の一人である応神天皇が被葬者である陵)は、世界遺産となった誉田御廟山古墳ではなく、吉備の造山古墳である可能性が高いです。

◆仏教朝儀への吉備の忠誠の強要説
→天皇と蘇我氏などの崇仏派豪族から成るヤマト王権が、大和朝廷として仏教を母体に朝儀を整備するにあたり、日本列島土着の物部・斎部神道を排撃したと同時に、それらの根源にある吉備の巫女神道を警戒し、吉備国に朝廷への忠誠を誓わせ、吉備の技術・国力を吸い上げたとする説。東大寺の瓦が全て吉備で焼かれるなど、古墳の技術と同様、これら吉備の技術が丸々ヤマト王権に取り込まれており、少なくとも吉備に対するヤマトの羨望と制圧策の凄まじさはあからさまに観察されます。

◆『古事記』、『日本書紀』・六国史、『新撰姓氏録』、『万葉集』、勅撰集・『古今集』(古今伝授)による吉備封殺説
→吉備の巫女たちは、これらの書物の全てに、吉備国を封殺し、その存在を日本史から抹消しようとする画策が見られるとしています。岩崎も、巫女たちの主張が史実として概ね正しいと見ています。

◆近現代天皇の正統性・神性・霊性非在説
→吉備の巫女たちは、特に大正天皇以降の天皇について、吉備の伯家神道(とりわけ、吉備の高浜清七郎派)の伝授を受けて神性・霊性を帯びていないため、本来は「天皇」の呼称を用いることができないと主張しています。岩崎も、巫女たちの主張が史実として概ね正しいと見ています。ただし、巫女も岩崎も、もはや現皇室・現国体の転覆を意図するものではありません。


巫女と岩崎の共通資料

■私たちは、下記の学術資料群に協力しています。


 近々、岩崎の神道論「絶対的一者をめぐる哲人たちの苦闘」が公表されます。


巫女神道吉備派の道統・流派一覧(秘儀秘伝の特徴別に、巫女と岩崎が提唱している分類)

楯築墳丘墓流鬼神道

 古墳の起源である楯築墳丘墓を中心とする墳丘墓群で継承されてきた女系巫女神道で、神道と言うよりは未だ鬼道・シャーマニズムです。墳丘墓群から原始埴輪が発掘され、学者らによって「特殊器台・特殊壺」と名付けられ、政府・神道界もこれを認めた珍しい経験を持っています。物部神道、斎部神道、中臣神道、伯家神道など、現在知られるほとんどの日本神道の起源になっていますが、政府など上記の神道利権団体は、これらが全てヤマト王権連合内で発生したと主張しています。明治の巫女禁断令の時点で、吉備の巫女たちはこの家伝を漏らさないよう威嚇・迫害を受けていますが、一部の巫女はこの弾圧にもかかわらず、埴輪の起源の情報などを漏洩させ、巫女神殿の廃止に追い込まれています。しかし本当は、孝明天皇、明治天皇、高浜清七郎などでさえ、神道の起源を知っていた可能性があります。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


阿哲・阿新・神郷・神代(こうじろ)・矢神・雨請山・鯉ヶ窪湿原流巫女神道・巫女舞歌道

 阿哲・阿新地域に広がる阿哲台のドリーネやウバーレを神格化して行われてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


芥子山(けしごやま)磐座流(大多羅寄宮、句句廼馳神社、布施神社流)巫女神道・巫女舞歌道

 芥子山の磐座神事を中心とする女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


姫社(ひめこそ)系巫女神道・巫女舞歌道

 総社姫社神社を中心とする女系巫女神道です。巫女たちは、「神社(じんじゃ)」の名称の前から「姫社(ひめこそ)」の名があったとする説を提唱しています。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


出雲系巫女神道・巫女舞歌道

 古代出雲において行われた巫女神道の系譜を引く女系巫女神道です。教派神道としての出雲大社教の創始以来、巫女による神事は廃れましたが、古代出雲国の南端である岡山県側の新見・真庭地域に、吉備系巫女神道とはやや異なる巫女神道が残存しており、これが古代出雲の巫女神道の名残であると思われます。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。阿哲・阿新流巫女神道や神庭流巫女神道をもご参照下さい。


備前一宮(吉備津彦神社)神子座(巫女座、御子座)流巫女神道・巫女舞歌道

 吉備津彦神社の巫女と巫女神道の巫女とが秘伝継承している女系巫女神道です。一部の巫女が所属する吉備津彦神社は、かつて神子座の主宰者でさえありましたが、現在は神社本庁傘下にあり、この巫女神道とは無関係です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


乙倉(おとくら)流巫女神道・巫女舞歌道

 乙倉家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


狩屋(かりや)流巫女神道・巫女舞歌道

 狩屋家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


神社(かんじゃ、じんじゃ、かんこそ、こうこそ)流巫女神道・巫女舞歌道

 神社家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


神庭(かんば)・真庭(まにわ)流巫女神道・巫女舞歌道

 神庭家や真庭市の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。「神庭」・「真庭」とは、ヤマト・アマテラスに追いやられたスサノオの最後の安住の地・庭園の意です。出雲神道と習合関係にあります。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


岸本流巫女神道・巫女舞歌道

 岸本家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。琉球・沖縄のノロ・ユタ・カミンチュを中心とする琉球神道と習合しているのが特徴です。巫女弾圧で双方が疲弊してからは、一層の協力体制となりました。現在も、「岸本」姓は岡山と沖縄に多く、巫女神道と関係がある可能性があります。倭舞や東遊と巫女舞とを融合させた吉備楽・吉備舞の創始者である岸本芳秀は、男系の岸本本家の出身で、巫女岸本家とも血縁があります。しかし現在、吉備楽・吉備舞とは、巫女たちの逃亡先となった黒住教や金光教と、巫女神道の巫女舞を言い、岡山県内の神社本庁・岡山県神社庁系神社のほとんどはこれらを継承していません(依然として、上級神職たちが巫女神道蔑視の方針を継続しているためです)。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


日下・草加(くさか)流巫女神道・巫女舞歌道

 日下・草加家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。当初は政府・国家神道に近かったものの、これらの勢力が天皇を万教の絶対者(ヤハウェ、ゴッド、イエス・キリスト、アッラーなど)を専有すると宣言してからは、巫女たちが憤怒して離脱。ヤマト王権、特に近代天皇・政府を祟る呪術を行い、一部はあからさまに反ユダヤ主義の神道天行居に参加しました。(目的はユダヤ人差別ではなく、ヤハウェと一体化した天皇への呪詛。)自ら吉備巫女神道に勇壮な悲運の道統です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


国定(くにさだ)流巫女神道・巫女舞歌道

 国定家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


黒明(くろあけ、くろみょう)流巫女神道・巫女舞歌道

 黒明家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


高祖(こうそ、たかそ、たかす)流巫女神道・巫女舞歌道

 高祖家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


道満(どうまん)流巫女神道・巫女舞歌道

 道満家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。キリスト教神秘主義を取り入れています。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


藤原流巫女神道・巫女舞歌道

 藤原家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。「藤原」姓は兵庫県と岡山県に極端に多いですが、ほとんどの家は公家史上最大の強勢を誇った藤原氏(天孫氏族とされる)の子孫ではありません。この藤原巫女神道も、女系継承で、少なくとも藤原氏の直系子孫ではないと考えていますが、藤原氏の始祖家系である中臣・大中臣家とは女系でつながります。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


正宗(まさむね、しょうしゅう)流巫女神道・巫女舞歌道

 正宗家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。男系の正宗本家は、国文学者・歌人の正宗敦夫などを輩出しています。現在、正宗文庫が知られています。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


御巫(みかなぎ、みかんなぎ、みかんこ)流巫女神道・巫女舞歌道

 御巫家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。吉備と共に、ヤマトに先行する古墳文明を築いていた毛野に「御巫」姓が多く、関係を研究しています。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


虫明(むしあけ)流巫女神道・巫女舞歌道

 虫明家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


守屋(もりや)流巫女神道・巫女舞歌道

 守屋家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


守安・森安(もりやす)流巫女神道・巫女舞歌道

 守安・森安家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


山本流巫女神道・巫女舞歌道

 山本家の巫女を中心に守られてきた女系巫女神道です。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


女子道社・二所山田神社

 おみくじで有名な女子道社の巫女神道です。吉備の巫女たちが参加してきました。詳細は(7)『巫女神道吉備派道統総覧』をはじめ、上記資料をご覧下さい。


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