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岩崎純一のウェブサイト > 知覚・共感覚 > 基本的な共感覚
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基本的な共感覚(2005年の初公表時の内容)

 初めてネットで共感覚を公表したときの文章です。そのまま掲載しておきます。(2005年執筆)
 これ以来、新たな共感覚の紹介(解説・画像・動画)も続けていますので、基本的な共感覚の続編(詳細な解説・画像・動画)応用的な共感覚(詳細な解説・画像・動画)をご覧下さい。

【2015年新設】
★「脳内デパート版」のほうは、サブタイトルに「私が共感覚を使って記憶・知覚・認知・認識・思考している物事の一覧」と題して、まだサイト内に具体例(ページ・ファイル)を掲載していないものも挙げています。
岩崎純一の共感覚データベース
岩崎純一の共感覚データベース(脳内デパート版)岩崎純一の共感覚データベース(3D映像操作版)
岩崎純一の共感覚記憶データベース


共感覚 ~僕自身の共感覚体験~

◆音に色や形が見える

↓【2005年の執筆時に掲載】
「2005年時点の共感覚」
音階についての共感覚

↓【以下は2008年10月3日に追記】
「2008年時点の共感覚」
(2005年と比べて、私の描画技術が進んだことが最大の違いですが、消滅した図形がいくつかあります。)
音階についての共感覚

↓【以下は2013年1月25日に追記】
「2013年時点の共感覚」
(2005年・2008年の時からこのように立体に見えていますが、より正確に立体的に描きました。)
こちら(私のブログの立体画像ページに飛びます。)
音階についての共感覚

↓【以下、2005年に書いた本文に戻る。ただし、現在の私の共感覚にも当てはまる内容である。】

まず、「音→色」の共感覚です。僕は絶対音感を持っており、それはピアノとソルフェージュを始めた幼少の頃からあります。左図のように、僕にとって、周波数262Hz(ヘルツ)のCは黒で、311HzのEbは深緑に見えます。オクターブが違っても、だいたい同様ですが、高い音ほど、明度が増します。

また、鍵盤上の色の形と位置関係にも意味があります。

・長方形・・・音が鳴った時に、角張って聴こえる。眼前もしくは脳裏に四角柱や三角柱が走る。
・角が丸い長方形・・・少しやわらかい。比較的落ち着いて脳裏を滑走する。
・楕円形や円・・・完全な円に近づくほどやわらかい。球状もしくは柔らかい手触りを感じる。
・奥行き・・・鍵盤表面に近い奥、かつ図の下の文字近くに描いている色ほど、基本的に共感覚が強い。重なり合っている部分は、本当はグラデーション状になめらかに移行するように見えている。音楽理論や、曲全体の質、または用いる楽器によって、花火のように見え方が変わります。全てを説明することは、不可能だと感じます。

鍵盤が白と黒でできていることは当然理解していますが、頭では確実に聴覚と視覚とがはたらいて絵画的にパレットが見えていると言いますか、音波と色彩を行き来することが可能です。また、十代半ばまでは、ある曲のキーを簡単に変えられるということに、耐え難い苦痛を感じていました。

例えば、カラオケでは、歌いやすいようにキーを変更することが可能ですが、これを他人が簡単に変更するということが、僕にとっては音楽全体の色彩・形状、その作曲家の芸術的意思と美学とがごっそり別の芸術作品として移し変えられることに等しかったため、精神的な立ち直りを必要としました。また、そのことが、僕の音楽への探究心を、ピアノや音楽鑑賞以上に、作曲及び作曲家のみが理解しうる感性という、音楽芸術の根源に向かわせた理由の一つでもでもあります。

しかしながら、クラシックだけでなく、ロックやポップスも心から楽しんで聴くようになった今現在では、感覚としては残存しているものの、精神に悪影響を及ぼすことはほとんどなくなっています。

しかし、やはり作曲、特に純音楽の作曲においては全く感覚が別であり、僕にとって作曲が、「色彩を作曲」し、「形状を作曲」し、「質感を作曲」する芸術としてとらえられている以上、それが完全に作品に投影できない時の苦痛は耐え難いもので、時に発熱・吐き気を伴うものでしたが、純クラシック音楽とDTMとのタッグは自分の共感覚を見事に救ってくれた上、今ではこの感覚とうまく付き合う術がないわけではないことを自覚しております。

◆文字に色が見える(ひらがな・カタカナ・アルファベット・漢字・数字)

ひらがな・カタカナについての共感覚

仮名(ひらがな・カタカナ)の見え方は左図のようになります。この「文字→色」の共感覚については、ひらがな・カタカナ・アルファベット・漢字・数字、ありとあらゆる文字について持っています。

初めて見た漢字や言語にも色を言うことができますので、たった50音のひらがな・カタカナなども、文字と色の暗記によるものではないことを確認しています。(最初はそれを自分で疑っていました。)

ほとんどの共感覚者は、ひらがなの中でも、文字によっては色が見えたり見えなかったりするそうで、ひらがなから漢字・数字まで、全てに対して漏れなく色が見えている人は極めて稀有だということを聞いているため、逆に「文字に色が見えない感覚が分からない」僕としては、今一歩踏み込んで探究してみたい、面白い点です。

また、同じ音を持つ文字は、ひらがなとカタカナとでほとんど同じ色に見えていますが、例えばは行(ハ行)などは、両者の間で著しい差があります。この理由を探ってみたところ、定かではありませんが、どうやら僕自身の昔からの文学的・美学的・言語学的・音声学的な興味や古典趣味・探究と関係がありそうだということが分かってきました。

現在も日常生活において、日本の古語及び日本語の歴史に対しては強い美的関心を抱いており、短歌とりわけ万葉集の文体によって自らの作曲技法が変化・感化されたり、古語の旋律線を音楽に適用して作曲を試みるなどしておりますが、「は・ひ・ふ・へ・ほ」が古語に沿って「ふぁ・ふぃ・ふ・ふぇ・ふぉ」と発音された場合に僕の脳裏に走る色彩の微細な変化、絶対音高などが、この共感覚に影響しているものと思われます。

◆文字や風景や人の姿から作曲する

文字そのもの、あるいは風景そのものから感得したものを曲に写生する、人の姿を作曲する、という僕の共感覚は、クラシック系音楽の作曲をする人の中でも珍しいかもしれません。多くの人の意見によると、どうやらこの辺りが、先の「文字→色」の普遍性の一方で、一般的な共感覚と異なる僕の共感覚の特殊性を形作っている領域のようです。

これは、いわゆる文学作品や風景をモチーフとして作曲をする、とか、シェイクスピアをオペラにする、などという感覚とは全く異なるものです。我々が風の強い真冬に外出した時に「寒い」と感じるように、また画家がモデルをキャンバスに描き出すように、僕が見たものそのものに、音楽を感じるものです。画家が女性の姿を絵画に再現するのと同じように、女性の表情・仕草そのものを音楽において想起できるものです。

実際、何人かの方には、曲を作って差し上げたことがあります。また、これはおそらく僕の記憶術とも関わっており、例えば、逆にその音楽を想起することで、特定の人の姿や心に響いた風景を連動させて想起することがあります。

ただ、これについてはそうしばしば起こる共感覚というわけではなく、ある時における、ある気温における、ある場所における風景・文字・美術作品・人の姿・女性の表情など、特定の場合にしか、「作曲スケッチ」を行うことはできません。また、それが可能な場合には、非常に壮大な感動を覚えることが多いですし、その状況がいつ現われるか、その状況において作動する五感が何であるかを、あらかじめ特定することは難しいようです。

理由はあろうかと思いますが、描けたり描けなかったりすることそのものが体験の全てです。

以下に、面白い実験として、「共感覚」という文字そのものを曲に描いたものがありますので、載せておきます。これは、僕の持つ「共感覚」という概念について持っているイメージとはまた違うものです。

↓「共感覚」の文字についての音源
『「共感覚」への共感覚の音楽』

単語についての共感覚

◆人の声に色や形が見える

前項で書いたように、人の姿や表情にも音・色・形を感じますが、やはり人の声そのものに色や形を感じる感覚も強いようです。あらゆる五感について共感覚を持っているとは言っても、やはり音・音声・音楽を中心とした共感覚のネットワークが、僕の脳には存在しているのかもしれません。ある人の声は青色だったり、ある人の声は円柱であったり、ある人の声はヘ短調であったりします。

◆壁の見えない共感覚

さて、最も強く自覚している共感覚をいくつか挙げてみましたが、そもそも僕の共感覚は、壁があってないような感覚であり、五感を総動員して感得しているものであると言えるのかもしれません。

僕の場合、共感覚の中でもポピュラーな「音→色」「文字→色」の共感覚もある一方で、一般の共感覚には見られない種類と強度のものがあるようで、また確かに特殊なものにおいては、時に日常生活の中において支障をきたす場合があることを自覚しているのは事実です。

幼少より自覚はあったものの、ここ数年のうちにそれだと気付いた共感覚には、例えば「音→匂い・形」「人の声→色・匂い・形」「写真・風景→匂い・音(人の表情や景色を作曲できる)」など、「匂い」が混在する共感覚があります。先述の各共感覚ほどには頻繁でないにしても、匂いが実感として感じられることがあります。

しかしながら、これも「花の写真を見て花の香りを思い出す」という感覚とはまるで違います。例えば、ステレオから流れてくる音楽の特定の和音に花の匂いがする、という実体験です。

以下に、僕にとって「数字が何色に見えているか」「アルファベットが何色に見えているか」「特定の音高の音が何色と何の映像や質感を眼前に浮かばせるか」を、図にしてみました。

数字についての共感覚

アルファベットについての共感覚

音階についての共感覚

<それぞれの音に感じる共感覚。数字は、A1(ラ)を440Hzで調律した時の周波数、単位Hz(ヘルツ)>

○レ#はド#と同じだが、厳密には異なるので、共感覚色も違う。ド#の時より、レにひきずられて明度が増し、「太陽が昇りかけた夜明け」などの感覚が呼び起こされる。他の半音についても同じ。また、平均律楽器であるピアノでは、レ#とド#は全くの同音として扱われるが、その両者に対する僕自身の共感覚は異なるもので、僕の共感覚が長年のピアノ教育によるものではない可能性があることを(論理上も自覚としても)示している。

○あくまで、特定の周波数の音を聴いた時に、共感覚として想起される色の一部であって、これら以外にも想起されるものはあり、また作曲をする時に、これら以外の色で作曲ができないということではない。例えば、純音楽・クラシックを作曲する際には、この共感覚に従うことを願望する上に、そのように音符を書くが、バレエ音楽などの依頼では、全く異なる要求に沿って曲を書いている。

○各音高の周波数を、それぞれ2倍・1/2倍すれば、オクターブ上・オクターブ下の周波数が得られる。

【シ・・・約494Hz】
白、桃色、薄い桃色、花、桜、優しさ、悲哀、哀愁

【ラ#(シ♭)・・・約466Hz】
濃い桃色、黄土色、深い桃色とこげ茶色の穏やかな交じり合い、深い愛、安定

【ラ・・・約440Hz】
茶色、土、大地、自然、木、山、荒野、武士道

【ソ#(ラ♭)・・・約415Hz】
茶色、こげ茶色、小麦色、和室、畳、仏教、和服

【ソ・・・約392Hz】
白、肌色、クリーム色、はかなさ、弱さ、淡い光、甘さ

【ファ#(ソ♭)・・・約370Hz】
薄桃色、薄肌色、薄紅色、不安定、不安感、白と黄と赤の花畑

【ファ・・・約349Hz】
赤、紅、桃色、心臓、血液、赤い薔薇、華やか、生命、生命力、燃焼

【ミ・・・約330Hz】
青緑、水色、水色と薄緑の穏やかな交じり合い、水、清涼、聡明、湖、霧、涙

【レ#(ミ♭)・・・約311Hz】
深緑、黄緑、深緑の季節、自然、山、森、林、川の中

【レ・・・約294Hz】
黄、オレンジ色、太陽、炎、輝き、権力、意志、まぶしさ、光明

【ド#(レ♭)・・・約277Hz】
濃い灰色、濃い茶色、濃い紫色、暗黒の中の光明、夜明け、神仏

【ド・・・約262Hz】
黒、暗黒、大地、落ち着き、宇宙、最高神、トンネル、夜、無、無我、涅槃、武士道


【追記】

私のGrapheme-color synesthesiaのうち、私にとって最も面白く、味わい深いものの一つが、漢字に色を見る共感覚です。

2005年時点の画像
漢字についての共感覚1

2009年に、色相を細かく修正しつつ、全体をやや彩度の低い色で描き直した画像
漢字についての共感覚2

○部首を付けた時と付けない時で、漢字の色がどう変わるかを試すのが面白い。
○実際に見えている模様の細部までは描けないので、便宜上、明確に塗り分けています。
○ご覧の通り、全く規則性がなく、漢字を実際に見てみないと分からないのです。
○見たこともない難しい漢字についても、すぐに色を言うことができます。
○つまり、漢字についても、数の少ない仮名文字や数字についても、文字と色との対応をあらかじめ記憶しているわけではありません。

さて、そこで、パーツごとに切り離した状態からだんだんと近づけていくとどう見えるか、という疑問が湧いてくるでしょう。では、「恋」を例にとります。

「恋」の字についての共感覚

つまり、「注視点または注視点に近い範囲にどういった形のものが見えているか」で色が変わってくるのだと、私自身は分析しています。

「恋は水色」などと言いますが、私にとっては半分納得!といったところでしょうか。