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岩崎純一のウェブサイト > 大日本帝国陸軍岡山歩兵第10連隊・岡山近衛兵将校子孫会(岡将会) > 会員と郷土岡山
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会員と郷土岡山


会員と血族軍人の関係(将校名簿は別掲)

※ これらの情報は、下方の「岡山出身の近衛兵・幹部将校の家系の特徴」や「在日米海軍司令部(CNFJ)からの依頼 『出征の際の日の丸国旗への寄せ書き』の分析調査」の内容を考察する上でも重要なものとなります。このほかに情報をお持ちの方は、ぜひご連絡いただければ幸いです。

※ ここでの血族軍人は、血族または血族養子を指し、非血縁養子を除きます。


本会での主な担当
氏名(巫女は社家としての氏名)
血族軍人の所属部隊と最終位置
血族軍人に対する続柄と系統
血族軍人の近衛兵への抜擢の理由
会員本人から八親等以内の血族軍人の苗字


代表
岩崎純一
近衛歩兵連隊(東京・皇居)、岡山歩兵第10連隊(ルソン北部):二名帰還
曽孫、孫(父系、母系)
華族身分を持たない武家・地主系教職からの近衛兵への特例的登用(「岡山藩、高梁藩、岡山県、広島県、国家に対する勲功」)
岩崎(旧阿哲郡・阿新地方系岩知道・岩藤家傍流)、岡本、黒住(黒住教開祖・黒住宗忠遠戚傍流)、津村、池田


現地調査担当
北川良子
近衛歩兵連隊(東京・皇居)、岡山歩兵第10連隊(ルソン北部):爆死・餓死
曽孫、孫(父系、母系):戦後は男系断絶、女子のみ。
勲功華族(男爵、「国家に対する勲功」)、岡山藩・岡山県神社社家
赤澤(金光教開祖・金光大神傍流)、白神、津田、土井原、土肥原(A級戦犯・土肥原賢二遠戚)


現地調査担当
一条みさお
近衛歩兵連隊(東京・皇居)、岡山歩兵第10連隊(ルソン北部):餓死
曽孫、孫(父系、母系):戦後は男系断絶、女子のみ。
勲功華族(男爵・子爵、「国家に対する勲功」)、岡山藩・岡山県神社社家
花房(旧邑久郡邑久町大名家)、虫明、藤原、守安


現地調査担当
道満幸江
岡山歩兵第10連隊(ルソン北部):爆死・餓死
曽孫、孫(父系)
なし
池田、小野、岩崎(旧阿哲郡・阿新地方系岩知道・岩藤家傍流)


現地調査担当
吉川りせ
近衛歩兵連隊(東京・皇居)、岡山歩兵第10連隊(ルソン北部):一名帰還
曽孫、孫(父系、母系):戦後は男系断絶、女子のみ。
岡山藩・岡山県神社社家
岡本、黒住(黒住教開祖・宗忠遠戚傍流)、藤原、吉川


◆ご協力者・証言者一覧
 歩兵第10連隊帰還兵、岡山県住民、岡山県護国神社、岡山県や全国の神社の巫女・社家(後述の巫女を含む)、伝統和歌の会「余情会」(長満たき・戸井留子・樋川夜涼・青柳香織・武田あさゑ・江波戸優花・北川良子・一条みさお・吉川りせ)


岡山大空襲による歴史の損失 ―神社・巫女家・社家(「元伊勢」など)への被害―

 本会には、岡山県内の神社・社家の巫女の皆様が参加して下さっておりますが、これは元々本会が、代表の岩崎による国文学・哲学・民俗学・精神病理学などに関する在野・個人研究の延長として成立したためです。
岩崎純一のウェブサイトから派生した、全国や岡山の和歌を研究する伝統和歌の会「余情会」や、巫女に見られる解離性障害・憑依障害・身体表現性障害などを含む精神諸現象の研究などが元。)

 ところで、我々会員の先祖である岡山の郷土部隊や岡山出身の近衛兵への言及の前に、我々の郷土が受けた大空襲の被害、そして私(岩崎)を除く会員の実家である巫女家・社家が受けた被害を見ておきます。

 岡山大空襲(1945年6月29日)の被害は、隣の広島が受けた原爆の被害に比べれば天と地の差ですが、それでも罹災者数12万人、死者1737人、負傷者6026人、罹災戸12693戸で、市街地の70%以上が焼失しました。そのような中、広島市への原爆投下の際には、「特殊爆弾」が投下された可能性と広島市の状況についての第一報(広島市郊外にいて無事だった同盟通信記者の中村敏による)を岡山支社が受容し、これを東京本社、そして大本営に伝えるところとなりました。広島・岡山両市の粉骨砕身の賜物と言えます。

 岡山大空襲の特徴は、被害が一般市民・民家および文化財に集中しており、歩兵第10連隊の拠点を含む津島地区の陸軍兵舎・兵器廠は、ほぼ無傷で残っていることです。米軍は、「小都市の住民の未来を真っ黒にする」旨の「目標情報票(Target Information Sheet)」において岡山市を名指ししており、最初から軍事拠点への攻撃ではなく市民殺戮・住宅地焦土化を意図したものと考えられます。従って、後述のような部隊の壊滅状態で何とか帰還した岡山の兵士が、銃後の家族に二度と会えなかった事態も生じています。

 岡山には、第五の元伊勢神宮(「元伊勢」)たる名方浜宮(なかたのはまみや)が多く存在し(『倭姫命世記』に豊鍬入姫命の巡歴として記載あり)、吉備国内宮(岡山伊勢内宮)はその中心でした。いわゆる伊勢市の伊勢神宮内宮のおよそ40年前に創建されたと考えられますが、岡山大空襲で吉備国内宮は失われました。

 全国の内宮のうち、爆撃で焼失した内宮は岡山のもののみとなっています。岡山の郷土史を有史以前、朝廷・日本誕生以前から知りたい岡山県民の目で見れば、『古事記』・『日本書紀』や『風土記』の解読に影響を与える致命的な損失ですが、当時の米軍がそのような重大さを考慮に入れるはずもありません。これも戦争の悲劇の一つということでしょう。

 吉備国内宮の祭祀・秘儀などを執り行っていた神官・巫女の家(神官家・社家)は、同内宮の焼失と小規模での再建後は、一般家系となっているほか、同内宮や県内の他の元伊勢の社家として細々と存続している家系もあります。ただし当然、華族制度や近代社格制度の廃止により、多くは現代的な職業としての神職・巫女となっています。

 岡山県内の他の元伊勢には、伊勢神社、穴門山神社、神明神社などがあり、吉備王国時代(領域は岡山県~広島県東部~兵庫県西部~香川県島嶼部~徳島県東部~和歌山県西部)を含めると、今伊勢内宮外宮(広島県福山市)、伊勢部柿本神社(和歌山県海南市)、国主神社(和歌山県有田郡有田川町)などがあります。