岩崎純一のウェブサイト > 言語学・言語体系考案
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「言語とは何か」についての私の考え方(ソシュールなどの著名な言語学者との比較を中心に)

 このページでは、私自身の言語についての基本的な考え方とその学術的な根拠を大まかに書いてみます。
 岩崎式言語体系に初めて触れる方向けのページでもあり、まずは言語学・言語哲学などの学問そのものの面白さを知っていただくことも兼ねて、一般によく知られたフェルディナン・ド・ソシュールなどの言語学者の学説との比較という形で書いておきたいと思います。

 例文には、実際に私が聴取・目撃した言語障害者や精神疾患者の方々の日本語文を多く含んでおり、これらは私が新たな言語体系を考案する上での大きなヒントとなっています。


言葉は、人間とは別にあらかじめ存在する何かを言い当てるもの(記号)ではない。

【例】
●「コップ」・・・
 もし「コップ」が「液体を漏らさずにそこにとどめることができるもの」を指す名詞ならば、飲料の入れ物だけでなく、プール、地球(海水が引力で引き止められている)、感涙・発汗・出血していない人体なども「コップ」となる。一方で、涙を流している人、運動している人、ケガ人ばかりか、倒れたコップ、割れたコップなども「コップ」ではなくなる。
 → 個物や身体の向き・形状・状態が変わっただけで同一性が理解できなくなる疾患・・・統合失調症・妄想性障害・せん妄・解離性障害などの精神疾患の一部や脳卒中患者の一部
●「とべりたちるひ」・・・
 統合失調症者の造語。「数百年後にこの世に現れる親友と自分との本当の友情」を意味する単語。
 → 言葉が指し示す実体や概念は、存在する(した)必要もなければ、存在可能である必要もない。

【類似する学説】 ソシュールの「言葉の恣意性」(シニフィアンとシニフィエ)

シニフィアン:記号表現(意味するもの)・・・「動物」・「犬」・「木」などの字や「ドウブツ」・「イヌ」・「キ」などの音声
シニフィエ:記号内容(意味されるもの)・・・シニフィアンが指しているもの
 → 「動く全てのもの」が「動物」というシニフィアンに対応するシニフィエであるならば、自動車や地球、風に揺れたり車で運搬されたりしている最中の植物も「動物」となる。
 → シニフィアンは「動物」であってもよければ、「どうぶーつ」・「○△□」などであってもよい。
 → 日本語の「木」は、英語の「tree(自然植生としての木)」や「wood(木材)」を含む。各自然言語は、互いに異質な方法で世界を分節する。
 → 「動物」と「animal」、「犬」と「dog」も同様。
(互いに「同じものをそれぞれの言語のシニフィアンで呼ぼう」と示し合わせたように見えるのみで、実際は世界各地で別々に同時多発的に世界を分節する中で「似通ったカテゴリ」が発見・了解されているのみである。)
シーニュ・・・一対のシニフィエとシニフィアンの恣意的関係

言葉は、世界を分節し、言葉を生み出したはずの我々自身に対し、分節された世界を同時的に認知させている。言葉どうしの違いは、人間の外界に存在するはずの実体に根拠を持たない。

【例】
●虹の色の数は異言語どうしで必ずしも一致しない。
●「蝶(チョウ)」と「蛾(ガ)」は、生物学的には違いはなく、文化的・宗教的な違いであり、特に日本においては、虫の外見についての快・不快の情、出現時期や出現場所、方言の違いなどによって使い分けられているのみである。
●「右人(みぎびと)」・「左人(ひだりびと)」・・・
 妄想性障害者の造語。「右を向いている人」・「左を向いている人」の総称。たとえ家族であっても、「右人」や「左人」である瞬間は、この患者には、それが「父」や「母」と同一人物であるとは認知されない一方で、街中の「右人」・「左人」の顔が全て同じに見え、家族と他人とを区別できない(相貌失認)。
 → 「家族」や「友人」とは、言葉が自己に向かって跳ね返した「有機体・生命体の一つの分節法」の恣意的な説明であり、文脈である。すなわち、「家族」や「友人」といった親族語・人間を表す語は「ヒト」自体を指していない。ところが、「自己」自身でも毛頭ない。「家族」や「友人」とは、自己でも他のヒトでもない「他者」である。
 → ただし、ほとんどの人間は、「家族」や「友人」が具体的・個別的実体としての肉体を持ったヒトを指していると信じて生きているか、またはそう信じなければ耐えがたい。
 → 「他者」への「愛憎」とは、全てが「自己自身」の「世界の了解の方法」の問題である。
 → ある特定の文法言語を獲得したことで失った「正当で自由な妄想」(例:上記の「右人」・「左人」)への憧憬を常に持ちながら文法言語の内で自己自身を懸命に生き続けることが、我々人間のとるべき態度である。

【類似する学説】 言語的相対論(サピア・ウォーフの仮説)

エドワード・サピア:「言語は思考を制約する」、「言語は思考の特性を形成する」
ベンジャミン・ウォーフ:「言語は認識に影響を与える思考の習性を我々に提供する」
 → ソシュールは、シニフィアンとシニフィエの恣意的関係のみを述べ、恣意的関係により構築された言語体系が思考の特性を生み出すことまでは述べていない。

【類似する学説】 フランツ・ボアズやクロード・レヴィ=ストロースの「文化相対主義」

「ある文化と社会の進化度は、他の文化と社会の尺度のみによって判断することはできない。」
「文化と社会の進化や、文化間・社会間の優劣というものは存在しない。」

【類似する学説】 ベルクソンの他者論、純粋持続、エラン・ヴィタール(生の躍動)

【類似する学説】 メルロー=ポンティの知覚論、現象学


ある言葉Xの意味は、「Xではないもの」との差異によって、必ず差別的・排他的に、ネガティブに、かつ無意識に定義される。言葉の定義は、多数の自己の欲望の暴力的妥協の絶え間なき反復である。

【例】
●「大学を卒業し、就職面接に合格して、晴れて社会人となった」と言うとき・・・子供や学生は社会の外側にいる
 「女性の社会進出」と言うとき・・・女性の多くは社会の外側にいる
 「暴力団などの反社会勢力」と言うとき・・・特定団体の人間は社会の外側にいる
 「この社会では色々な犯罪が起きている」と言うとき・・・全ての人間が社会の内側にいる
 → 複数の「社会」の同時運用(多数の社会構成員の自己の欲望の恣意的で暴力的な妥協点)
 → これらの全てを、ほとんどの人(日本人)は即座に理解し分けることが可能であり、コミュニケーションも成立し、かつ言葉の多重規範性によってパニックをおこすなど心身に異常をきたすこともない。
 → 「僕は社会人であって社会人ではないなら、いったいどうすればいいんだ。」
(発達障害男性の発言。大多数の定形発達者の言語の暴力的恣意性に対する忠実で正確な解釈は、近代の言語コミュニケーションの妨げとなる。すなわち、円滑な言語活動・コミュニケーションのためには、自己の暴力的恣意性が無意識的に実行されること、自己自身によって無視されることが要求される。)
●「犬」は「犬ではないもの」の積み重ねによって定義されるが、それは「犬であってほしいもの」と「犬であってほしくないもの」とを分ける多数の自己の欲望の妥協点である。

【類似するが不足を感じる学説】 ソシュールの「差異の体系」

「犬」は「犬ではないもの」の積み重ねによって定義され認知される。言葉の意味は、差異のモザイクにより生じる。
 → 言葉の意味付けの恣意性がその言語共同体の構成員の多数の自己の欲望によって極めて暴力的に運用され妥協されていることや、そのことが同じ言語共同体内に軋轢を生む可能性があるといったことに、ソシュールは関心がなかった。
(ソシュールの関心は、あくまでも「シニフィアン・シニフィエ」、以下に述べる「連辞・連合関係」や「ラング・パロール関係」などの、言語体系の二元的構造。方言、精神疾患者のパロール、乳幼児期のパロール、言語起源論などはほぼ無視。)

言葉の意味は言葉にはない。言葉によって、言葉自身の外部に(自己と他者の中間のトポスに)定義される。

【例】
●「お前、馬鹿だな。」(友人に対して、笑いながら発言)
 「わっはっは。自分でもそう思うよ。」(友人)
 → 文意:「お前、おっちょこちょいだな」

 「お前、馬鹿だな。」(上司が部下に対して、けなしながら)
 「申し訳ございません。」(部下)
 → 文意:「お前、出来が悪いな」

 「お前、馬鹿だな。」(いじめっ子)
 「ううん、違うよ。僕は人間だよ。」(発達障害児)
 → この発達障害児は、上記の二例のうちのどちらの文意・口調で語りかけられても、このような受け答えをする。この発達障害児は、これ以前に「バカはウマ(馬)・シカ(鹿)と書くんだよ」と親(または他の大人)から教えられており、かつこの言葉が「知能のはたらきが鈍い人の形容」であることまでは理解できず、ウマとシカそのものであると理解した。

 「馬鹿」の由来・・・僧侶の隠語である「莫迦(バカ)」の当て字。ウマとシカ程度の知能。元来の「莫迦」も「知能のはたらきが鈍いこと。また、そのような人」を指し、同義。

 → この発達障害児は「馬鹿」という言葉で傷つくことがない。(「馬鹿」という言葉でこの発達障害児の喜怒哀楽を揺さぶることはできない。)
 → 人を傷つける(喜ばせる)のは言葉ではない。(自己を傷つけ、喜ばせるのは、自己自身が生み出した言葉の解釈である。)
 → 前者の二例のコミュニケーションが成立するためには、「馬鹿」がそれ自体として語意を持つ記号ではなく、前後の連辞的文脈によって語意とその機能が決定され、或る特定の共時態としての「特定の人間関係」を生起させるための契機(感情誘発のトリガー)にとどまらなければならない。
 → 最後の一例については、以下に述べる連辞と連合とが未分化である自己の保持者が存在することを示している。
 → しかし、言葉がなければ、あらゆる喜怒哀楽は未分化・未分節のまま、世界につかみどころなく遍在するのみである。

【類似するが不足を感じる学説】 ソシュールの「言語非実質論」における「連辞・連合関係」

「ある語が他の語と接触する様式は二つある。」
 連辞・・・シニフィアンとシニフィエが直喩的関係である語や文の連なり。統合関係。
 連合・・・シニフィアンとシニフィエが隠喩的関係である語や文の連なり。範列関係。
 → 「キが立っている。」は、「ここは公園だ。キが立っている。」といった前後の文脈の参照によって初めて「気が立っている」ではなく「木が立っている」という文意に解される。すなわち、当該文と前後の文・文脈の全てがシニフィアン、「木が立っている」がシニフィエであり、「木」はその他の語と統合関係にある。(連辞)
 → 「この公園に何本も植えられているキ」の「キ」は、「木」であることが疑いようがない。すなわち、「この公園に何本も植えられている」がシニフィアンであり、「木」がシニフィエである。また、この「木」は、「花」などに入れ替えることができる。すなわち、「木」は「花」と範列関係にある。(連合)
 → 岩崎式言語体系の考え方・・・
「ただし、ソシュールは連辞・連合の二元論にこだわったため、このままでは印欧語の定形発達者のパロールにしか適用できず、現在の発達障害者・学習障害者などの文法ミスを説明できない。」

言語の構造とは、文法・統語法(シンタックス)そのもののことである。ある言語のシンタックスが記述できない差異の体系は認知することができない(胎児・乳児・幼児期にしか認知していない未分節領域がある)。

【例】
●ある会社の重役の発言:「女性のバラエティに富んだセンスがアクティブに、クリエイティブに社会にコミットできるストラテジーをビルドするための我が社のコンセンサス、コンプライアンスをやっていくプランというわけです。」
 → 多くの単語が英単語であるが、やはりこれは日本語文である。
●「私は、です、学生、であるところの、先日、ばかり、した、帰国。」
 → 全ての単語が日本語であるが、統語法的には欧州語文である。
●日本の大学の学部・学科名:「カルチュラルスタディーズコース」・「クリエイティブライティングコース」・「エンターテインメントビジネスコース」など
 → 多くが英単語の日本語解釈による造語や和製英語であり、そのままでは英語圏で通用しないが、その原因は統語法ないし語の形態にあり、「カルチュラル」や「クリエイティブ」といった単語にはない。
●「空をうつくらせない」・「ボクはママをさびしらせない」・・・幼児の言葉。「(何かが)空を美しくさせない」・「ボクはママを寂しくさせない」の意味に近いと考えられるが、「うつくらす」・「さびしらす」の意味内容を、日本語を含む既存の自然言語は正確に記述できない。

【類似する学説】 言語的相対論(サピア・ウォーフの仮説)、ジャン・ピアジェの「思考発達段階説」

 言語的相対論については先述。

【類似する学説】 ソシュールの「ラング」・「パロール」・「ランガージュ」

 ラング・・・ある言語共同体における社会的規範体系としての言語の性質(標準日本語・東京方言の文法や、「この品詞の次にはこの品詞は続かない」という暗黙の了解の体系など)
 パロール・・・個人の言語行為。ラングの個人における実践(特定個人のみの文法・語彙など。広義には、地方方言の文法・語彙などを含む。)
 ランガージュ・・・ラングに基づいて行われる言語活動と、それによる世界の分節化能力

【疑義を覚える学説】 チョムスキーの「言語生得説」・「生成文法」

チョムスキー:「のちにいかなる個別の自然言語にも遷移しうるだけの十分な豊かさを持った、語族・語派の違いによらない、乳幼児に生得的な初期状態であるUG(普遍文法)は、合理的に特定可能である。」
 → 岩崎式言語体系の考え方・・・
「すでに個別の自然言語の一派である印欧語の統語規則によって形而上学的言語学の系譜上に形成された(チョムスキーの)自己が思案し形式化しうるUGは、その自己を規定する印欧語の変遷史にしか適用できない。すなわち、言語学的な思考・思惟とはすでに近代印欧語的行為である。例えば、我々がアメリカ原住民の思考過程を知るためには、良きにつけ悪しきにつけ、印欧比較言語学への批判精神や自己の擬似喪失体験(言語障害や精神疾患)を経なければならない。」

【対立する学説】 イェスペルセンの「英語孤立語化説」

イェスペルセン:「英語は、活用を失ったことでいずれ中国語のような孤立語となる。」
 → 岩崎式言語体系の考え方・・・
「英語は今後、孤立語化することは考えられない。活用を失って見かけ上は孤立語化した英語は、統語規則の自由度がより奪われた超理想的屈折語である。その証拠に、自動詞と他動詞の区別は、中国語ではとりわけ複合動詞において消失する場合が多々見られるが、英語ではほとんど見られない。」

一度習得した母語(言語共同体として用いるラング)は、個人の言語行為のうち、文法(統語法)を厳しく束縛していながら、それ以外の側面については放任する。シンタックスの獲得過程は、個人の思考の発達過程である。

【例】
●統合失調症者の文章:「心から記憶の近くを愛している紫色のゆくえが、私の右向きの悲しみをひどく未来に締め付ける」
●解離性同一性障害者の文章:「私の私が私の中の友達に約束する」
●社交不安障害者の文章:「そんなことはない考えが緊張の赤面をくぐる恥ずかしさ」
 → いずれも文法・統語法・連辞の上では非の打ち所のない日本語文。連合関係が定型のラングとはかけ離れているだけである。
 → この統合失調症者は、「自己」と「他人」との区別があまりつかず、この区別をつける訓練をおこなっている。すなわち、ラングの文法の束縛性は、自己の存在を必要としないまま、当人(の脳)の中で強く保たれる。一度確立したラングは、人間の自己を離れて独立独歩し、それ自体が一つの「意志」として人間の仮想の自己をさえ束縛する。
 → この解離性同一性障害者の中には、複数の「自己」が存在する。すなわち、ラングの文法の束縛性は、自己の複数化に合わせてコピーされ、複数の自己間で共有される。ラングに追いかけられず束縛されない自己は存在しない。

【類似する学説】 レイ・ジャッケンドフの概念意味論、ジャン・ピアジェの「思考発達段階説」、井筒俊彦の「言語アラヤ識」、龍樹(ナーガールジュナ)の中観思想、唯識論

【多少疑義を覚える学説】 チョムスキーの「言語生得説」・「生成文法」

【対立する学説】 ソシュール、印欧比較言語学、デカルトの動物機械論、優生学、社会進化論、弁証法的唯物論、目的論的進化論、行動主義心理学、英語帝国主義

ソシュール:「言語の起源などというものは存在しない」、「言語の発生に根拠はない」
 → 言語の起源や獲得過程(自然言語の発生起源や乳幼児の母語獲得過程など)の存在を信じることはなく、その探究に無関心。あくまでも「根拠なくすでに在るラングこそが言語である」として、言語学の対称をほぼラングに限った。

言葉のイデアは存在しない。

【例】
●「善人」・「美人」・・・
 人間の認知不可能な理想的・超越的異世界(神のみが創造・統制・参照できるイデア)に何らかの形で善人・美人(または、神がそれらの定義を記述した仮想辞書)が存在して、それがために「善人」・「美人」という言葉が生まれたのではない。
●同様に、先述の「コップ」のように、理想的な機能・形状・大きさなどを持った実体・個物のイデアも存在しない。
●「英語では動物をanimalと言う。」という言明は、シニフィエの根拠にイデアを前提とし、イデアを媒介した言明であることから、誤りである。

【類似する学説】 ソシュールやヤコブソン以来の構造主義言語学、実存哲学、実存主義、ニーチェ哲学、「生の哲学」、反哲学、文化心理学、直観主義、多値論理、ファジィ論理、ソクラテス以前のギリシア自然哲学

【対立する学説】 プラトニズム、アリストテレスの唯名論、ヘーゲル哲学、形而上学至上主義、侮蔑的ペイガニズム、印欧比較言語学至上主義、科学的実在論

 プラトン:「イデアが存在し、それが個物や個物の集合、概念に取り付いているがために、名前(名詞など)を付けることができる」、「人間はイデアを認識できない」(実在論的)
 アリストテレス:「個物や個物の集合、概念が存在し、それに名前(名詞など)が付いている」(唯名論的)
 → 「我々が何かに名前を付けたり何かを考えたりすることができるのは、個物か概念かを問わず、それが元よりどこかに存在しているからだ」と考えた。
 → 「人間が認知し得ない理想的・絶対的世界の実在」という考え方は、「イデア」や「純粋形相」と呼ばれ、のちに一神教(とりわけキリスト教)と親和して「God」と呼ばれる。

文化・宗教・習俗の発祥や精神疾患の出現の仕方は、ラングとしての母国語の統語法がランガージュ(言語活動)によって我々の自己自身に跳ね返した文脈(世界の分節の方法)の制約を受ける。

【例】
●文化依存症候群(文化結合症候群)の存在:日本の対人恐怖症、朝鮮半島の火病、マレーシアのアモック、東南アジアや中東のラタ、東洋の腎虚など
 → これらは、医学的・生物学的現象としての症状に対する呼称ではなく、各自然言語(ラング)の語やシンタックスで分節化・記述・言明された世界がパロールを操る自己に向かって跳ね返った結果として起きた言語文化的症状である。(言語文化としての精神疾患)
●日本の鯨食文化に対する批判と捕鯨活動に対する動物愛護団体からの暴力的妨害
 → 日本語の文脈における日本人の脳には、鯨が特別に優先的に保護すべき哺乳類とは認識されていない。(農耕文化・海洋文化と家畜・放牧文化との違いは、それぞれの言語文化と一体である。)
 → 鯨食のみならず、馬食・牛食・羊食などについても同様のことが言える。
●大逆罪・尊属殺人罪の旧規定、定型発達者と発達障害者・知的障害者との区別など:
 → 天皇・君主・政府要人・親族・定型発達者の生命(身体の作り)・人権・人格(神格)などは、それら自体が尊ばれるべきものとして生物学的イデア界によって定められ、言語に先立ってその崇高さが存在し、我々の眼前に認知されているのか(一神教的な神にとって生得的に最も喜ばしく優秀な有機体の分子構造は存在するか)、それとも、我々の言語行為(ラング、法の条文、共同体の方言、口承など)が世界を分節化して生み出した文化・習俗・宗教観の積み重ねの賜物こそが社会制度であるのか。後者であると言わざるを得ない。(後者の徹底的肯定が「他者」への真の崇敬の念である。)

【類似の学説】 クロード・レヴィ=ストロース、ラドクリフ=ブラウン、文化人類学、構造機能主義、構造主義社会学、文化心理学、文化精神医学、アニミズム、トーテミズム、最新のDSM(アメリカ精神医学会による)

 DSM-IV-TR、DSM-5の言語的相対論的態度:「精神疾患は定義できない」、「例えば、統合失調症者が存在するのではない。統合失調症の診断基準に該当する者が存在するのみである」

【対立する学説】 印欧比較言語学、操作主義的精神病理学、バージョンIII~IVまでのDSM


【参考文献】 "Language, Thought, and Reality", 2ND : Selected Writings of Benjamin Lee Whorf, Carroll, John B. (EDT), Levinson, Stephen C. (EDT), MIT PR 2012
『一般言語学講義』 フェルディナン・ド・ソシュール、小林英夫 訳、岩波書店、1972
『ソシュールの思想』 丸山圭三郎、岩波書店、1981
『チョムスキー理論辞典』 原口庄輔・中村捷 編集、研究社出版、1992
『構造主義』 ジャン・ピアジェ、滝沢武久・佐々木明 訳、白水社〈文庫クセジュ〉、1970
『未開社会における構造と機能』 ラドクリフ=ブラウン、青柳まちこ 訳、蒲生正男 解説、新泉社、2002
『反哲学入門』 木田元、新潮社、2007
『言語理論と言語論―ことばに埋め込まれているもの』 児玉徳美、くろしお出版、1998
『言語学への招待』 中島平三・外池滋生、大修館書店、1994
『存在と時間』 ハイデガー、細谷貞雄 訳、ちくま学芸文庫、1994
International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems 10th Revision (ICD-10) Version for 2010 (Online Version)". Apps.who.int. Retrieved on 2013-04-16.
WHO (2010) ICD-10: Clinical descriptions and diagnostic guidelines: Disorders of adult personality and behavior
American Psychiatric Association (2000). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (4th ed., text revision). Washington, DC: American Psychiatric Publishing.
American Psychiatric Association (2013). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (5th ed.). Arlington, VA: American Psychiatric Publishing.
"Intellectual developmental disorders: towards a new name, definition and framework for "mental retardation/intellectual disability" in ICD-11". World Psychiatry 3 (10): 175-180. October 2011.
『ICD-10 精神および行動の障害-臨床記述と診断ガイドライン(新訂版)』 監訳:融道男/中根允文/小見山実/岡崎祐士/大久保善朗、医学書院、2005年11月
『DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引・新訂版』 訳:高橋三郎/大野裕/染矢俊幸、医学書院、2003年8月
精神科病院入院患者の状況 独立行政法人 国立精神・神経医療研究センター(NCNP)
精神疾患: メルクマニュアル18版 日本語版
医学用語集めでぃっく
『EBM精神疾患の治療〈2006‐2007〉』 上島国利、三村將、中込和幸、平島奈津子、中外医学社、2006